榮太樓總

文政元年創業という老舗「榮太樓總」の歩みとは

和菓子を作り続けている榮太樓總の送料は、文政元年になります。
埼玉県飯能市で菓子商を営んでいた細田徳兵衛が孫を連れて江戸へ、それが現代まで続く和菓子店の基礎となったものです。
これが井筒屋でした。

徳兵衛の曾孫、3代目細田安兵衛が幼い時、お父さんが日本橋に屋台を出していました。
そこで焼いていた大きく田甘くておいしいという金鍔はたちまち魚河岸に働く人たちに大人気となり、その噂が江戸中に広がりました。
家族を支える孝行息子と当時栄太郎という幼名を持っていた安兵衛は良く褒められたといいます。

江戸時代になるとさすが武士の子 金鍔を食べたがりという川柳、流行歌がと登場するほど、この金鍔は売れたのです。
安政4年、旧名日本橋西河岸町に独立した店を構え、その際、自身の幼名にちなんで「榮太樓」という名前を付けたのです。

江戸末期になって銘菓が誕生、知名度が上がる

安政年間、梅ぼ志飴、さらに文久年間二甘納豆の元祖と呼ばれる甘名納糖が誕生、明治になって玉だれ、さらに黒飴ができました。
鋏で切った紅色の飴で口の中を傷つけないように、指でつまむことで三角にすると、まるで梅干しに様になる、という事からこの名前が付けられたといいます。
戦前、東京繁盛菓子屋番付に大関や横綱などとたびたび掲載され、榮太樓總は一気に知名度を上げていったのです。

榮太樓總は生菓子もうまい

榮太樓總の生菓子はおいしいものを多くの方に食べてほしいという気持ちで作っています。
創意工夫を凝らし、現在までおいしくて誰もが笑顔になれるようなお菓子を作り続けてくれている榮太樓總、特に甘名納糖は素朴な味で、口に入れるといくつでも食べたくなる、それほどべったり甘くないおいしいお菓子です。

西菓子大福などの大福類は、せっかちな江戸っ子が食べやすいようにという事で、歯切れのいい餅になっている事が特徴です。
黒豆大福も西菓子大福も昔ながらの味、最高の大福です。

おはぎ、桜餅、道明寺

こしあん、つぶあん、抹茶、きな粉の4つの味を楽しめるおはぎは、春と秋のお彼岸の時に頂けます。
榮太樓總のこうした季節の菓子も本当においしいのです。

桜餅や道明寺桜餅、これも季節の和菓子です。
江戸の桜餅は小麦生地に餡を包んだ一文字です。
白はこし餡で、紅は半小豆餡、香りがよくて春はこの桜餅を食べないと始まりません。

関西風の桜餅、道明寺は白の草こし餡、紅はつぶし餡でいただけます。
春が来たことを御菓子で感じる事ができるというのは、やはり日本の素晴らしい文化です。
おはぎにしても、桜餅にしても、季節を感じる事ができる和菓子を、榮太樓總で購入して楽しむというのもいいでしょう。