塩瀬

660余年の伝統の味を今に伝える塩瀬

660年前も昔からお菓子を伝承している塩瀬は、貞和5年、宋での修行を終えた龍山徳見禅師が帰国するのに合わせて、その俗弟子であった中国人のうちの一人がどうしても別れがたく思い、随従し来朝したことに始まります。
塩瀬総本家はこの随従してきた中国人、林淨因です。

奈良に暮らしの拠点を構えて、おまんじゅうづくりに精を出します。
それから塩瀬の歴史が始まったのです。
中国の焼き菓子、さらに日本の最中など、塩瀬のお菓子は古くから奈良で愛され続けているのです。

塩瀬の歴史

660年ほど前、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国の時、俗弟子であった中国人林淨因が、どうしても別れがたいと来朝したのです。
奈良に暮らし、おまんじゅうづくりに精を出しはじめた、塩瀬の歴史の始まりです。

禅宗寺院はその当時、宗教を学ぶ場所という事以外に、上流階級の社交の場所として利用されていました。
淨因が作るおまんじゅうは殺生が許されず肉食はご法度となっていた僧侶のため、小豆を煮詰めて甘葛の優しい甘みと塩を少々加えた餡を利用したもので、これを皮に包み蒸しあげる、というものでした。
この画期的なおまんじゅう作りは、寺院にやってくる上流階級の舌をうならせたのです。

おまんじゅう屋として淨因の子孫がその代を繋ぎ、奈良林家と京都林家に分かれて営業を開始しました。
応仁の乱の際、京都は焼け野原となり、戦乱を避けるように林家は親類関係にあった豪族の塩瀬家を頼って三河国の設楽郡塩瀬村に暮らすようになります。
そこで、姓を塩瀬と改めたのです。

京都に戻ると塩瀬はたちまち大繁盛となり、烏丸三条通りあたりが饅頭屋町と呼ばれるほどでした。
当時8代室町将軍であった足利義政によって日本第一番饅頭所林氏塩瀬と看板を頂き、当時の帝、後土御門天皇より五七の桐の紋を頂いたのです。

塩瀬と家康の関わり

塩瀬は徳川家康とゆかりがあります。
天正3年、長篠の合戦において、七代目の林宗二が本饅頭を献上します。
元和元年の大坂夏の陣では、大阪方であった真田幸村に責め立てられ、一命を落とすかと思われる場面がありました。

わずかな手勢で引き込んだ場所が、なんと林浄因が暮らしていた林神社だったのです。
戦いの後、徳川家康公は林神社に鎧一領を送ったのです。

宮内省御用達の塩瀬

称号を塩瀬とし、製菓作りに精進し、明治初年には宮内省御用達の菓子屋となりました。
ブライダルの引菓子などに今も利用される塩瀬は、デパートなどにも出店し、全国各地で塩瀬の味を楽しめるようになったのです。

塩瀬といえばやはりお饅頭です。
こだわりの素材を利用しこしらえる甘さが控えめのおまんじゅうは、職人さんが丁寧に、伝統を守って作っています。
老舗の銘菓として、幅広い年齢層の方々に愛され続けているお菓子です。